荒谷卓

人に対する忠誠というと、今の人権思想からは封建的とか奴隷的服従などと否定的に見なされがちだ。確かにそのような形態は社会が安定し武士が役人化された江戸期の武士道には見られる。いわゆる「お家のため」という考えである。我々陸上自衛官もくれぐれも「お家大事」的挟隘な武士道に陥らないように気をつけなくてはいけない。また、この時期の武士道は総じて処世術的側面が強くなり、戦人の心構えというよりは、つつがない役人の心構え的なものも散見される。例えば、「葉隠」は、鍋島藩への絶対的服従を背景としている面があり、同時に処世術についても説いているなど武士道が狭隘化した感を否めない。しかし、本来の武士道は、あくまで自発的なものである。武士道者とは自己の意志に従って行動している者である。 例えば、 戦国時代末期の武将後藤又兵衛は、藩主黒田長政が忠義の対象ならずとみるや公に脱藩を取り付ける。 幾多の高禄高の仕官の誘いに目もくれず、「己の義と信ぜざることは断じてやらぬ、 己が武士として制約した義は必ず守る」と、最後は豊臣家臣として戦死する。このように、人に対する忠義とは、突き詰めれば『己の真心』に対する忠義といったほうが正しい。